一応経済学部出身なので、マーケティングには興味があります。個人レッスンの形態をお宅訪問型からスカイプによるライブレッスンに替えて、ネットによるマーケティングの重要度が上がったのは間違いないです。これまでデジタル機器からほど遠い生活を送っていましたが、スマホを買ったりLINEなどのAppを利用したマーケティングを展開し始めました。興味深いのは、ホームページでの見え方とスマホでの見え方が異なる点。考えてもみなかったことなので、友人から指摘を受けてビックリしました。
実際に自分のスマホで見ても今一つの映り加減で、こういう点を少しずつ改善していこうと思います。

さまざまな形で自分のレッスンを宣伝した成果でしょうか?googleで「ペンギン先生」と検索すると、1頁目に表示されるようになりました。
リピート訪問してもらえるようなホームページになるよう試行錯誤を続けていこうと思います。

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# by wp636 | 2017-08-19 18:41 | What's NEW! | Comments(0)

一昨日、日本の友人と一緒にオランダ・ユトレヒトに出掛けてきました。

オランダ語の離せない私たちにとっては、勇気をもって「ドイツ語話せますか?」と尋ねる必要に駆られるのですが、これは切ないことです。
多くの人は英語が世界共通語で、これさえあれば世界中どこでも旅ができると思っている。でもこの考え方は一面正しく、他面そうとも言えないと私は考えます。

なぜなら「英語を話せますか?」と尋ねた瞬間に相手との壁が築かれるからです。オランダという国家が世界経済や世界産業に与えるインパクトはそれほど大きくないかもしれない。だからこの国の人たちは英語やドイツ語が堪能です。生き残るための手段として他言語を身に着けているのです。しかし母国語は別にあり、その言葉は国民性やその国に住む国民の誇りに直結しています。
そこを忘れてはなりません。
片言でもオランダ語で話してみる。すると相手は絶対に心を開く・心のうちで絶対に喜んでいる。そういうものでしょう。頭っから英語で話しかけるのとは印象が全然違うはずです。

私は海外に出るのを毎回ちょっと躊躇い、そして出掛けていった後必ず「行って良かったなァ。そして言葉って大事だなぁ」と改めて思うのです。
こうした経験を外国語を勉強する原動力にしています。

私にとって海外に出るとは何か?と尋ねられたら、それは「言葉の大切さを知る機会」に尽きます。
今回の旅では当然「オランダ語いいねぇ」という感想を持ったわけです。

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# by wp636 | 2017-08-13 15:03 | 日常生活 | Comments(0)

先日、会社で在庫の一斉棚卸しが行われました。
倉庫にある何千という商品を従業員総出で一つ一つ数えていくのです。
普段一日中椅子に座り、パソコンに向かって経理の仕事をしている自分にはきっつい体力仕事でした。もう40代ですし、この手の肉体労働は実にこたえます。

さて倉庫はだだっ広く、また今年入社の私には知らないことばかり。何がどこに保管されているかなど考えもせずに働いていますから。
倉庫担当の方にリストをもらい、該当する商品を探し出してひたすら数えていきます。
ただ、この商品探しに一苦労。目に付くところに商品が並べてあればよいのですが、段ボールに入っていたり、最新の商品で紐解かれていないものなどは、どこにどう保管されているのか素人には分かろうはずもありません。

そうなると倉庫担当の方に質問するのが一番手っ取り早い。なんでも知っている、まさにその言葉にピッタリの歩く倉庫辞典ですから。
商品の形状や色合いなどもすべて頭に入っており、それがどういう経緯でどこに保管されているかも瞬時に答えられる。本当に凄いことだと思います。

しかし。。。昨今のAI(人工知能)を最先端とするコンピュータ・システムは在庫管理にも応用されてきており、従来型の経験がものをいう職場を駆逐しつつあります。その先頭を突っ走るのがジェフ・ベゾス率いるamazonグループでしょう。あれだけの多種多様な商品を大量に取扱い、数日以内に(事によっては当日中に)指定された場所へと配送されるシステムを構築しています。
この会社の財務諸表を見ると、売り上げが右肩上がりですが、それに比例するように絶え間ない設備投資にお金が費やされています。利益を意図的に圧縮しつつ、厳しい競争に優位に立つための施策にお金を使っているのです。
より効率的な在庫管理を実現し、受注-商品のピックアップ-発送手配へと一連の行程を無駄なく円滑に流していくために、amazonは進化を続けています。
こうしたお金の掛かるシステム導入には資金力が必要ですが、やがて定型化、低価格の廉価版が出てくると破壊的イノベーションによってあっという間に中小企業にまで浸透していきます。

そこで大量の単純作業労働者のクビが刎ねられます。件の倉庫担当、今は会社にとって大変重宝な職員です。しかしコンピュータ管理システムが導入されたら真っ先に職を失うでしょう。人件費が相対的に他の倉庫作業員よりも高いからです。
そしてこの方の知識は、今の会社を去ったらもう何らの価値も持ちません。

これからの時代、もはや詰込み型の「歩く六法全書」「ウォーキング・ディクショナリー」は不要です。コンピュータには絶対勝てませんから。
それを念頭に置けば、従来型の「教える指導」がいかに無駄が多いか分かろうというもの。
これからのレッスンに必要なのは、「知識を教えること」ではないと思います。いかにして「気付きを与える」レッスンを行えるかにかかっています。板書を写して覚えるタイプの学習は、21世紀型のやり方ではないと確信しています。
では何が21世紀の人間に求められているのでしょうか?
それは、時には答えの出ない課題に対しても「どうやって取り組むか?」という疑問を常日頃から自分に問いかける人間、いつだって「自分がアクションを起こすと、どういった変化や結果が生じるのか?」といった問題意識を持って考える人間が求められています。

もう学歴の時代などはとっくに終焉を迎えています。教えられた知識をテストで吐き出すだけの「頭でっかち」は生き残れません。
この厳しい時代を生き抜くためには、学習の仕方と人の意識の持ち方も変わらなければならないと思います。

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# by wp636 | 2017-08-06 20:21 | 日常生活 | Comments(0)

DSH準備コースで勉強していた頃、講師の先生に「Negation(否定)の学習をしたいです」とお願いしたら渋い表情をされました。
それを聞きつけたクラスメートが「そんな簡単なこといちいち勉強する必要はない。それよりも受動態とか接続法を勉強すべきだ」と言われました。
内心「こいつ分かってないな。お前が思うほどNegationは簡単じゃないんだ」と思っていたけれど、説得しても無駄なので無視しました。
講師の先生は「あなたの言いたいことはよく分かる。でもこのクラスではできないかも・・・」とお茶を濁してきました。
クラスメートたちには分からなかっただろう。私は「やっぱり説明するのに時間が掛かるのだな。そしてクラスの半分は『よく分からない』と言い出すのがオチで、絶対に紛糾するのだろうな」と思い諦めました。
結局このクラスではNegationを学ぶことはありませんでした。接続法なんて、私にしてみればそれほど難しい内容ではなかったのに。。。
Negationをパーフェクトに知らなくたってDSH試験くらいなら受かりますよ。でもその程度ではドイツ語講師をやるのに不十分だと思っていたのです。

私は今ドイツ語を教えながら、ドイツ語教授法(専ら外国人に第二外国語としてドイツ語を教えること)を大学で専門に学びMagisterの学位を取得したドイツ人からドイツ語を学んでいます。私は講師でありながら生徒でもあるのです。
これまでに私がドイツ語学習の際、疑問に感じていたことが的外れではなかったことを再確認しました。やっぱり私の思ったとおり、Negationは奥が深く、きちんと習得するのはそれほど容易ではありませんでした。

ここできちんと書いておきたいこと。
それは「文法的に認められることが正しいというわけではない」ということです。ドイツ語の入門書では、定動詞第二位の鉄則や副詞句をTeKaMoLoの順で並べるのが良いというような説明を受けます。 しかし、思ったほどにはドイツ語の語順は自由度が高いわけではないことに辿り着きました。今はその辺のことを先生と一緒に学んでいます。
ドイツ語の入門書はよくできていると思います。しかし上級に上がるためには、これまでの「ま、この辺でよいのでは?」という学習の仕方を離れないといけません。そこでポイントになるのが、「文法的には間違いではない。しかしネイティブのドイツ人はそういう言い方はしない」というポイントを身に着けることです。これが本当の意味での上級レベルというものでしょう。

私は学ぶためには謙虚さが必要だと常日頃思っています。DSH試験やC1試験に受かったくらいでは、確かにドイツ語の初歩から上級レベルまで一通りの指導はできます。でも知識を磨く歩みを止めた者に良いレッスンはできないと思うのです。

レッスンでは自分の得てきた知識を余すところなく提供しています。若く青かった頃には「自分の知りえたものを独り占めしたい」というケチな考えを抱いていたころもありました。なにせ物凄く厳しい受験戦争がありましたから。
でも大学を卒業して社会人になってからは、考え方も変わりましたね。
ドイツに来てからは「自分の持っている知識、経験、ノウハウは全部与えよう!」と思い個人レッスンをしています。

ドイツ語レッスンを始めてから3年が経ちますが、開始当初よりも確実に今の方が指導力も知識も厚みを増したと思います。
これからも更なるレベルアップを目指して精進していこうと思います。

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# by wp636 | 2017-08-02 03:57 | ドイツ語 | Comments(0)

日本の政治家に大した人物がいないのは今に始まった話ではないけれど、北朝鮮がミサイルを打ち上げて大変な時期に辞任する防衛相ってどうかと思う。そういう人物を任命した首相も首相。しかも後任は外相と兼任って。人材難と言われても仕方のない状況だ。
小さな頃から懸命に勉強している生徒がたくさんいて、社会人も自分のプライベートな時間を削って長時間勤務しているのに、その努力と納税の一方で、日本のトップに立っている人物がこの程度ではあまりに浮かばれない。

政治に興味を抱かない人が多い昨今、選挙についても「どうせ行っても無駄」と思って投票に出掛けていかない人も多い。けれど、これは物凄い税金の無駄。自分の貯金に目を向けることと同じくらい、否それ以上に価値のあることですよ、政治を考えることは。
もっと多くの人が政治に関心を持って、「良い政治家」は選べなくても(人材不足なので)、「ひどい政治家(稲田議員のような人物と言ったらあまりに失礼か)」を選ばないようになりたいもの。

今、中3生に公民のレッスンをしていますが、中学の学習科目でこれほど重要な科目もないと思う。
下手をすれば、日本国憲法や政治(選挙)などの仕組みを勉強する機会はこれが最後という場合も多い。私は高校時代の受験科目として政治経済・倫理を選択していたので、憲法などについて改めて深く学習する機会があったものの、高校時代に政治経済・倫理を選択する人なんて殆どいないはず(全高校生の一割以下?)。多くは日本史か世界史に地理を加えるパターンであろう。
だからこそ、中学生の時分にきちんと公民の指導をしておかねばならない。受験科目としてだけではなく、生きていくための実践的な学問としても。
ただしこの科目、教える人間によって大きく内容や指導の質がブレる可能性があり、取扱注意科目なのである。
多くの社会科の教師は史学専攻であろう。経済、経営、商学専攻だった人間が公立校の社会科の教師になる確率はとても低い。大抵は銀行か証券、生保それに商社を第一志望に就職活動を行うはずだから。私自身も経済学部出身だけれど、会計の勉強をして国税専門官、それに民間会社の経理マンを勤めてきた。
だから興味深い公民の授業が学校で行われる可能性はとても低い(主専攻にしてきた教師が少ないから)。社会経験の少ない教師が、公民を中学生に向かって指導するのは困難ともいえる。

日本人の、特に若者の政治離れが顕著なのは、お粗末な国会議員らの責任もある。しかしそれだけではないだろう。
せっかく公民という貴重な学習機会が義務教育の間にあるのだから、ここをしっかり指導できる教員の養成も必須だ。もっと生徒たちが小さな頃から、政治や経済に関心を抱く学生を増やさないといけない。
私が学校教員の4割から5割は社会人経験者にすべきだと考える理由はここにある。教職課程を修了して、教職員採用試験に合格すれば教師になれるという甘い考えを根本から叩き直さなければならない。一生懸命に働いている教職員がたくさんいることも知っているが、反面どうしようもない者がいるのも事実。
臨時雇いで教職員を補うのではなく(不安定な雇用では指導の質にも影響する)、半日勤務の正教員を増やすべきだと考える。そうすれば家事との両立が可能になり、教職に復帰できる元教員なども見つけられるのではないか。

国会議員の体たらくを非難し政治に無関心になるのはたやすい。それよりも将来の日本を背負って立つ人材を小中学生の教育段階からしっかり養成していくことだ。そのためには中身の濃い授業のできる優れた教員の人材確保・育成も待ったなしの状況である。

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# by wp636 | 2017-07-29 08:30 | 日常生活 | Comments(0)