兄の高校時代をよくよく振り返ってくると、その人の地位や役職が人を変えることがあるのだとつくづく思います。

きっと兄はマンモス中学の大勢の生徒の中に埋もれてしまって、「どうせできない奴」「勉強にしろ運動にしろ並以下」というレッテルを貼られていたように思います。

ところが、高校に進学したらいきなり学年3番の成績を収め、それが元で学校の先生方に期待されるようになりました。
するとその期待に応えたいという思いとこの位置をキープしたい(より一層上を目指したい)という思いを強くしていきました。
そしてテスト2週間前からテスト対策をするという、中学時代の兄がついぞ一度もやらなかったことを高校生になって実行していることに驚きました。

学年でトップクラスの生徒ということと、熱心に勉強に取り組んでいる様子から生徒会のお仕事もするようになりました。
すると「立派な肩書もついているのだから、みっともないことはできない」と言い出すようになりました。
ちゃらんぽらんな中学時代と別人のような兄を見て、こちらがどう受け答えしてよいのか分からなかったほどです。


20世紀最大の報道カメラマンといえば、ほぼ間違いなくロバート・キャパという名前が挙がるでしょう。
彼はスペイン内戦中、銃弾に倒れる兵士の決定的な瞬間をカメラに収めて、優れた報道家に贈られる最高賞・ピューリッツアー賞を受賞しています(作品名は『崩れゆく兵士』)。しかし、これがやらせである、つまり倒れゆく兵士は撃たれたのではなくキャパに頼まれてポーズを取ったにすぎないと今では言われています。
キャパは賞を取ることで大きなプレッシャーも感じたことでしょう。後ろめたさも感じたことでしょう。でも「20世紀最大の報道カメラマン」という名に恥じないよう努力し、結果的に本物の最高峰のカメラマンになったのです。
これなども、その人の地位がその人自身を変えてしまったパターンと言えます。

最近、急速に伸びている若い企業(アメーバもそうですね)では、優秀な若手に大きな役割や高いポジションにつけ、それに相応しい人物になるようチャンスを与えるところも出てきています。
「まだまだ青い」と言って年功序列に頼らず、思い切って若者に高い地位や役職をつけてみる。
すると、その人の持っている以上のものが引き出せるかもしれません。

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by wp636 | 2017-10-13 07:32 | 閑話休題 | Comments(0)

環境が人を変える

自分の兄のことを考えると、環境が人を大きく変えるのだと痛感します。

中学生まで勉強に関心もなく成績も良くなかった兄が、都内の私立高校に進学していきなり中間テストの成績で学年3位と聞いた時には家族一同ビックリしました。一体何が起きたのか?なにかの間違いじゃないか?と真剣に思いました。

担任の先生から「〇〇君(うちの兄のこと)は優秀です。学校での態度も模範的で素晴らしい。この調子でいきましょう!」と電話まで掛かってきたときには、さすがに「これはまぐれじゃないぞ!」と家族みんなで沸き立ったものです。

兄の進学した学校は凄い高校でした。今でも学校自体は東京大田区にあります。でも雰囲気はすっかり変わってしまいましたね。
兄が通っていた頃はドラマに出てしまうかのような怖い先生と、中学時代から荒れていた生徒の戦いの毎日って感じで。。。
そんな中、グレるとか不良とかいう言葉に無縁の兄がコツコツ勉強して成績優秀者になっていったというのが、今思い返しても凄いことじゃないかと思うんです。

担任のK田先生は熱血漢で、兄に「ここをもっと勉強しろ。そうすればテストで点が取れる。」「お前の将来の夢はなんだ。××になりたいならこんな資格を取っておくといいぞ」と事あるごとにアドヴァイスを送ってくれました。
結果的に、兄は不良のたくさん集まる高校でたくさんの資格を取得し、最終的に学年2位で高校を卒業しました。

先生の期待に応えたい、ずっと成績優秀者で学校を卒業したいという一心で学校に通っていましたね。
驚いたのはテスト前の勉強。テスト二週間前からテスト対策を始め、理解の難しい単元は丸暗記ですよ。こんなに熱心に勉強する兄の姿を初めて見ました。それはもう声を掛けるのも躊躇われるほどの緊張感というか、気迫のかたまりでした。毎回のテストが生きるか死ぬかを決める勝負事のような感じだったのでしょう。

兄の目標は、就職に役立つ資格を数多く取得して学校を卒業し、それを活かせる会社に就職することでした。
目標はきちんと達成したことになります。でも卒業を前にK田先生は私たち家族でさえ思いも寄らなかった案を出してきました。
それは「学校推薦を使って大学に進学する」というもの。これには高校卒業→就職を前提に動き始めていた父を大いに驚かせ動揺させました(父は知り合いを通じて就職先を斡旋してもらえるよう、密かに連絡を取っていました)。あれほど父が思い悩んでいるのを見たことがなかったですね。

結局兄は大学進学を希望し就職活動を取りやめました。推薦入試を突破し大学に進学してから、兄の高校時代の勉強方法が通用しないことに大苦戦するのですが、諦めずに卒業できたのは「K田先生始め、大学進学を勧めてくださった学校・先生方に迷惑を掛けられない」という強い思いだったと思います。

人間は環境で変わる。兄のことを思うと、その最たる例を見せられた気がします。
たかが高校、されど高校ですよ。あの学校に進んだことが、今の兄の人生に大きな力を与えてくれたのです。
学校選択はとっても大事ですね。

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by wp636 | 2017-10-11 12:33 | 閑話休題 | Comments(0)

今、医学部生として勉学に励んでいる私の元生徒さんに、来年2月ドイツで再会できることになりました。

私は医学部に無縁な人間だったので、学生生活をどんな風に過ごしているのかじっくり話を聞こうと思います。思えば9年も昔の話になってしまうのですか?驚きです。振り返ってみれば時間の経つのは早いですね。その当時はあっという間なんて思いもしなかったのに。。。

賢明にレッスンした生徒たちが成長して、自分の志望する道を歩んでいく。そういう姿を見ると本当に感動します。
頭が柔らかくて何でも吸収できる学生時代に指導に関われたことを誇りに思いますね。教えたことが今、この先の将来に少しでも役立ってくれたらどんなに嬉しいことか。レッスン講師のお仕事、こんなに遣り甲斐のある職業もないと思いますね。

教え子は一人で欧州にやってきますが、私が日本に帰国する時にはクラスメートで集まって飲み会をやってくれるそうです。
酒が飲めるような歳になったのか!と、すっかり親父になった自分にハッとします。
みんながどんな学生や社会人になっているのか、再会がとっても楽しみ。

「今も変わらず若いですね」と言われたいので、少し身体を動かしてシェイプアップしないといけません。

が、食欲の秋が邪魔をしまして・・・

運動の秋にします、ハイ!

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by wp636 | 2017-09-26 06:12 | 閑話休題 | Comments(0)

私は黄昏どきの図書館が大好きです。
読書をする人・勉強している学生さんが、ポツリポツリと散らばっている大きな図書館がこの上なく好きです。

これまでに幾度となく試験というものを受けてきました。
そのための準備を図書館でしてきたので、図書館という空間は私にとってかけがえないのない場所です。
マスコミの試験を受けるため、会社帰りに毎晩立ち寄った日吉の慶應大図書館。社会人学生をしていた時、授業の合間を縫って通い詰めた名古屋工業大学の図書館。横浜駅近くにある私設の図書館。神奈川公会堂近くにある市営の図書館。試験勉強のため有給休暇を取ったのに、朝から勉強するために出掛けていったのは会社の向かいに建つ愛知県図書館ということもありました。
ドイツに来てからはフランクフルトのドイツ連邦図書館がお気に入りで、入り口に立つ守衛さんとお友達になりました。
その後フランクフルト大学の図書館に通い詰めるようになったのですが、今はそこを離れて自宅で勉強しています。

黄昏どきの図書館に座っていると、とっても懐かしい気持ちになります。
あれは中学生くらいの思春期の頃を思い出させるのか?それとも大学受験に向けて必死に勉強していた高校生の頃を思い起こさせるのか?
滅多にないことなのですが、突然胸がキューンとなるんですね。切なくて、とっても懐かしい感じがして、下手をすると涙がこぼれてしまうような、そんな何とも言葉では表現できない感覚に陥るのです。そこで、しばらくボーっとしてからまた机に向かう、と。

歳を重ねるにつれて、じっと机に向かうことが難しくなりました。ただ席に座っていることが困難になってきました。
若い頃、何の気もなしにできていたことができなくなる。「若い時分にしっかり勉強しておけ!」と言われた意味がようやく分かるようになりました。
でも不思議なことに、若い頃よりもやる気は充実しています。学習というものが義務であることを離れた頃から、無性に勉強する気が湧いてきたように感じます。
そして図書館に通うとちょっぴり期待してしまうのです。あの胸がキューンとなる瞬間が訪れないかな、と。

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by wp636 | 2017-05-26 08:21 | 閑話休題 | Comments(0)

才能のある人は・・・

安定した職を辞してドイツに飛び出したのはもう10年以上前のこと。
一応本格的にドイツ留学する前に(会社を辞めてしまう前に)2週間だけRegensburgの語学学校Horizonteに体験入学(?)しました。たった2週間、しかもA1レベルで飛び込んだ私。
買い物にも不自由し、Gastfamilieとの意思疎通もまったくできませんでした。
悔しい、悲しい、遣る瀬無い・・・
10日くらい経った或る日、語学学校までの道すがら、涙が出ちゃいそうになってきました。「なんでこんなにうまく行かないのかなぁ」「こんなにいじけた気持ちでいて、果たして会社を辞めてドイツに移り住むことなんてできるのかしら?」と不安や絶望感に支配されていました。
お試し留学する前、会社の上司には「周囲の同僚の誰も、お前のように2週間も連続休暇を取ったことのある人なんていないぞ。帰ってくる頃には席がないと思え」と冗談とも本気ともつかない言葉を投げられていました。その頃には会社を辞めようと内心決意していたので、ドイツ生活が上手くいかないとなると八方塞がりになってしまうのです。

Regensburgの旧市街に入る前に小さな橋が架かっており、その橋のたもとにバス停があります。
なぜだか知らないけれど、そこに年金生活者とおぼしきお爺さんがいっつも座ってバスを待っているのです。ひょっとしたら散歩の途中で小休止していたのかもしれません。
すっかりしょげかえっていた私を見るに見かねたのか、そのお爺さんが元気よく挨拶してくれましたGrüß Gottと。
お爺さん、分かっていたんだな。私がドイツ語で会話できる感じじゃなかったことに。だからもうそれ以外何も言わなかった。笑顔で、ただひたすら笑顔で挨拶してくれました。
あれには本当に泣けた。朝から泣けた。声を出して泣いた。
でもドイツ人に優しくされて、なんだか「もうちょっと踏ん張ってみようかな」と思いました。

2週間が経って帰国の日、語学学校の担任だったS先生は私がたった2週間で日本に帰ることを始めて知りました。
そしてひとしきり驚いた後に私の目を見つめてこう言いました。「必ずドイツに帰っておいで。あなたならきっとドイツ語を身に着けられるわ」と。

その言葉を信じて1年後、私は会社を辞めてドイツにやってきました。2006年10月のことです。それからずっとドイツ暮らしです。
Regensburgにはその後夫婦で訪れました。
世界遺産に登録されてこの町はちょっと雰囲気が変わったように感じましたが、それはひょっとすると自分がドイツ語を話せるようになったから感じたのかもしれません。言語ができるってことは、町の見方から人との付き合い方から何から何まで変えてしまうから。

会社を辞める前、同僚で以前付き合っていた女性からこう言われました。「あなたは才能があるから海外に飛び出していける。みんながみんな、あなたのような決断ができるわけじゃないのよ」と。
でも私は「才能があるから」とか「選ばれているから」という言い方にしっくりこないものを感じていました。
自分の心のうちでは「やるしかないよな」と「決断なくして前途なし」くらいしかなかったので。

先日、たまたま坂東玉三郎さんのトーク番組を見る機会がありました。
その中で司会者が「玉三郎さんは才能があるから」とか「いつからご自分の能力に気付いていたのですか?」といった言い方を何度も繰り返していました。するとご本人は謙遜ではなく大いに本気で「才能なんてない」と否定していました。
そして「もしも才能があるなんて思っていたら、努力なんてしないのでは?」「能力があるのならば努力は必要ないでしょ」と答えているのを耳にして、そうだそうだと納得しました。

才能があると自覚して何かをやるなんてこと、実際にはたくさんあることなのでしょうか?
「とにかくやるしかない!」という必死なおもいからスタートするような気がしますが。

孔子先生は四十にして惑わずと仰ったけれど、私は40代半ばにして迷いに迷っています。悩みが尽きることはなさそうです。
でも、会社を辞めてドイツに飛び出す決意をしたのは間違いではなかった。
なにせ世界は広くなったし、見上げる空は青くて高くて美しいって感じられるようになったから。

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by wp636 | 2017-05-16 09:27 | 閑話休題 | Comments(0)

ミュンヒェン争奪戦

 ドイツの大都市には大抵日本人駐在員のご家族が住んでいます。
ドイツで3番目に大きい都市・ミュンヒェンともなれば、相当数の日本人の方が住んでいるのも容易に想像されます。
しかしなぜかこれまで大手進学塾や予備校が校舎を構えていませんでした。
さまざまな原因が考えられますが、日本人学校が街中から離れた場所に建っているということが指摘されてきました。
またデュッセルドルフのオーバーカッセル地区やメーアブッシュ地区、はたまたフランクフルトのハウゼン地区やプラウンハイム地区のように、日本人がまとまって住んでいる地区がミュンヒェンには少ないという点も、学習塾が校舎を構えるのに躊躇してきた理由として挙げられるでしょう。
昔からミュンヒェンに学習塾が開校するという噂は、持ち上がってはいつの間には立ち消えになっていました。

 そんな状況を変える事態が昨年起こりました。
デュッセルドルフに海外校舎を構える京進がミュンヒェンの中心街に校舎を開校しました。
市街の中心地に日本人のご家庭が集中的に住んでいるわけではないので、授業後にお見送りサービスをしているそうです。
以前、京進が日本でデュッセルドルフ校の専任講師を募集していた広告を見ましたが、給料が1800ユーロです。
これで授業後のお見送りサービスまで含まれているとしたら泣けてくるような待遇です。シビアな職ですね。

 さて、昨年はデュッセルドルフに駿台予備校が校舎を構えました。この時期に欧州に校舎を構える大きなメリットがあるのか?採算が取れるという確固たる根拠があるのか分かりませんが、久々に新規参入のニュースが飛び込んできてにわかに活気づいてきました。
その駿台は今年ミュンヒェンにも校舎を開校することが決まっています。ミュンヒェンには大きな市場があると思っていましたが、いよいよミュンヒェン争奪戦が本格化してきました。

 ミュンヒェンはバイエルン州の州都であり、観光名所を多数抱える素晴らしいところです。しかし忘れてはならないのが、ドイツでも屈指の有名大学の集まる街であるという点です。ミュンヒェン大学やミュンヒェン工科大学はいわゆるドイツのエリート大学に名を連ねています。ここに留学する日本人学生は優秀な人が多いので、これまではライバルが少なく家庭教師の生徒さんを探しやすかったと思います。そういった状況が大きく変わろうとしているように思います。

 今後ミュンヒェンの学習事情がどう変わっていくのか、目が離せません。

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by wp636 | 2017-04-19 05:08 | 閑話休題 | Comments(0)